こんにちは。株式会社遠藤木型の遠藤です。
今回は、弊社の古いアルバムから見つかった「2枚の懐かしい写真」とともに、創業78年を迎える当社の歩みと、会社を支え続けてきた大切な「挑戦の歴史」についてお話ししたいと思います。
創業の地「菊水」と、現在も会社が続いている最大の理由
弊社は昭和23年(1948年)、札幌の「菊水」という町で創業しました。その後、現在の札幌市西区発寒(札幌鉄工関連協同組合団地内)へと工場を移転しています。
今振り返ると、現在もこうして会社を続けてこられた最大の理由は、当時お付き合いのあった「札幌高級鋳物株式会社」様がこちらへ移転される際、我々も「一緒についていく」という決断をしたことにあります。
「お客様のそばで、要望にすぐ応えられる体制をつくる」 この時の初代の決断と、お客様との強い絆こそが、創業78年を迎える弊社の礎(いしずえ)となっています。
旧工場の写真と、おばあちゃんに軽くたしなめられた日の記憶
そうして移転してきた先にあったのが、こちらの旧工場です。

現在の工場が建つ前、向かい側にあったこの旧工場は、1階が作業を行う現場、2階が自宅兼事務所という昔ながらの造りでした。1980年生まれの私は、小学生の頃までこの場所で過ごしました。
職人さんたちが木を削る音と木の香りに包まれた工場は、私にとって半分遊び場のようなものでした。しかし、決して「ただの遊び場」ではありませんでした。今でも忘れられない出来事があります。
ある日、工場にいらっしゃった「大切なお客様」に、子供だった私が無邪気に話しかけてしまった時のこと。その時、普段は優しいおばあちゃんに「こら、今は大事なお仕事中だからね」と、軽く怒られた(たしなめられた)ことがありました。
いつも優しいおばあちゃんの真剣な表情を見て、子供心に「ああ、ここはただの遊び場じゃなくて、大人たちが真剣勝負で仕事をしている場所なんだな」とハッとしたのを覚えています。おばあちゃんは、お客様への礼儀と仕事の厳しさを、私に教えてくれたのだと思います。
1986年、現在の工場が完成。初代社長がまいた「未来の種」
そして2枚目の写真がこちらです。

これは1986年8月、現在の工場が完成した時に撮影された一枚です。 中央に写っているのが初代社長である私の祖父。そして、右側で誇らしげに笑っている男の子が、長男である私です。
祖父が未来へ向けて建てたこの新しい工場ですが、実はこの当時、初代社長はこれからの時代を見据えて、まだ世の中に普及していなかった「NC加工機」に関する新聞記事や写真を熱心に集めていました。「これからはデジタルの時代が来る」と、いち早く確信していたのだと思います。
その初代が残した情報と先見の明を受け継ぎ、実際に工場へ初めてNC加工機を導入するという大きな決断を下したのが、2代目社長でした。
そして現在、写真の右端にいた小さな男の子だった私が3代目として代表を引き継ぎ、その技術を「大型同時5軸制御NC加工機」や「最新3Dスキャナー」という最高峰の設備へと進化させています。
子供の頃から「1階で汗を流す職人たちの姿」と、「2階で経営に向き合う姿」の両方を当たり前のように見て育ったことは、今の私の最大の財産です。
創業78年。3代で紡いだ「職人技」と「挑戦の歴史」
78年の歴史の中で、工場も設備も大きく変わりました。しかし、私たちが大切にしているモノづくりの根幹、「お客様に徹底して寄り添う姿勢」と「仕事への真剣勝負の空気」は、初代の時代から一切変わっていません。
機械がどれだけ最新鋭になっても、数値だけでは表現しきれない「微妙なニュアンス」や「手触り」、そして図面には表れない「お客様の本当の意図」を汲み取るためには、長年培ってきた職人の感覚が必要です。
私は子供の頃から現場と事務所、そして歴代の社長たちの挑戦をすぐ側で見てきたからこそ、初代の「寄り添う心」、2代目の「決断力」、そして現代の「デジタル技術」をすべて掛け合わせて、お客様の期待に応えることができると自負しています。
現在は、鋳造用木型だけでなく、FRP用木型、大型の発泡型、建築装飾や特注のモニュメントなど、製作する造形物の幅も大きく広がりました。 図面がない古い部品の復元(リバースエンジニアリング)や、他社で断られてしまった複雑な造形などでお困りのことがございましたら、ぜひお気軽に札幌の遠藤木型までご相談ください。
3代にわたり受け継いできた誠実さと、進化し続ける技術を持って、皆様のあらゆるアイデアを立体化するお手伝いをさせていただきます

